満たされた生活

32歳の秋、日常生活を取り戻したというか、ものすごく平穏な日々を過ごしている。20代まで、というのか鬱病にやられるまでは初詣でいつも「今年も波瀾万丈な日々がやってきますように」と願っていた。そして訪れたトラブルも気合と情熱で張り倒して自分の糧にしちゃうことで自分の成長を感じていた。実際に仕事の幅が広がり、頼まれごとが増えるなど目に見えて成長を感じられることも多かった。

ところがどっこい、病に倒れ、仕事に復帰してリハビリ期間を終えたものの、その間に考えが大きく変わった。妻とのJリーグ観戦を最優先できる今の生活、最高。これぞ自分が追い求めていた暮らしだったんじゃないのかと。確証がないのがモヤモヤしている部分なのだけれど。

思い返せばJリーグで働きたくて仮面浪人までして別の大学に移り、スポーツ関係の長期インターンシップやバイトをしながらチャンスを探していた。これらの日々があったから今の仕事にたどり着けたと思うし、入社動機にしていた業務を今は担当できている。体調を崩した以外はまさに順風満帆な社会人生活。

そう、順風満帆だからこそ怖さを感じているのが今。仕事をこなせるようになっているから大きな山にぶつからずに程よい達成感を味わうことができる。想定外の場面がめっちゃ減っているのは先を見て入念な準備ができているとも言えるし、逆に歯を食いしばらなければいけない場面が減っている。それならば転職や部署移動でもして環境を変えることで更なる刺激を求めた方がいいと思っていたのが病気する前まで。今はというと、このような状況で転職や部署移動をした方がいいと思うのは仕事を最優先に考える人の行動であって、自分は違うよなー、と。


大学時代にスポーツの力で人々の生活がより心豊かにできると学んだ。しかも親会社に頼りまくるのではなく、地域経済に貢献しながら経済的にも豊かにできるという挑戦を自分の生涯の仕事にしたい、要はリアルサカつくがしたかった。それをすることで世の中みんなが幸せになれば嬉しかったし、それこそ生き甲斐になるのではと思っていた。実際にそうしている方々に会うと輝いていて羨ましい。

今はリアルサカつくはしていないけど、スポーツの力で自分の生活は豊かになったし、買い物は繁華街まで足を伸ばさなくても家の近所で満たされる理想的な生活環境を手に入れた。「スポーツのある生活は素晴らしいんです!」と社会に訴えて世の中を自分なりにより良くしている間に、スポーツのある素晴らしい私生活も手に入れてしまった。けれどもスポーツのある素晴らしい生活を世に発信することを仕事にし、今の私生活と両立させることはおれが知っている限りは無理。

仕事を人生の中で最優先に考えていたら東京の同業他社への転職を考えていただろうし、幸いにも何度か声をかけてもらえた。そして転職の誘いを受けたことがこれまでの自分の仕事が評価される、自分のこれまでを肯定できる心の支えにもなっている。


それでもモヤモヤした思いがずーっと心の中にあって気持ち悪いのは自分が今の会社でベストを尽くしていないとか、物足りなさを感じているからなのかな。モヤモヤした時に決断して勝負する人生に魅力を感じるけれど、自分はそういうことは高校や大学時代に色々したから今はもういいやーと思うことも。これは過去の栄光にしがみついているだけだから良くないのかもしれないけど、とりあえずモヤモヤした日々が今も続いている。

転職すれば物事が解決するならいくらでもするけど、そういうもんでもないし。東京の方が同業の仕事がたくさんあるのは知っているけど、東京に行くことで今の家から徒歩15分でのサッカー観戦という夢のような生活ができなくなる。どうせ大阪を離れるなら東京じゃなくて海外に行った方が気持ちも割り切れるだろうし。

ひとまず今は具体的にやりたいことがないから、人に会ったり本を読んだり、百聞は一見に如かずで色々と見聞きして人生どうしたいか考えようか。現場でバリバリ活躍している仲間はたくさんいるし、置いていかれる不安や怖さはあるけれどit's never too lateな気持ちを保ち続ければいいんだし。


とりあえず来年の6月も4年に一度のライフワークとしてロシアにいってきます。仕事の都合でいけないのであれば退職してでも行くわな。ライフワークと仕事のどっちが大切かと問われれば、答えは余裕でライフワークでしょ。

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