ジオシティーズからブロガーへ

特に記事とは関係ない写真です

化石化している個人ホームページの中身を少しずつですが、ブログに移行しはじめた。いつか読み返す時にアーカイブが読みやすいブログ形式の方が良いし、自分の過去を隠さずにフルオープンにしてみようかと思った。理由は特になし!しかも凄くヒマな人が奇跡的に過去ログを読み始めて、思わず「いいね!」だなんて押してくれてネット上で広まったらおもしろいじゃん?

個人サイトが衰退してるけど、1999年からやってきてるからその中身を放っておくのはもったいないので、時代に乗った環境に持ってきてみようかと。うん、異動して自分の時間が増えたからこそできることなんだけどさ。

とりあえず自分のネット生活を振り返ってみる。


1999年、父親の仕事でヨルダンに住んでいた中学時代。日中は学校いって、放課後は友達と遊び、帰宅して晩飯を食べた後は宿題をせずにプレステかセガサターンばかりやっていた。何か新しいことをしたいと思っていたら、個人ホームページを作ってみようとパソコンに向かった。

日記や旅行記など当時の個人サイトでは定番のモノから、掲示板とかなんかいろいろやってみた。まだ誰もがPCメールなんてしているほど普及してなくて、当時おれが海外在住だったり、帰国してからも誰かしらが海外にいたこともあって「今こんなことしてるよ」と確認し合うのに快適な場所だった。なんてったって親が知らない、もしくは知っていてみ見ていなかった(ハズ)なので、おれにとっては最高に楽しい遊び場、隠れ場、溜まり場だったと思う。


ほんで高校生になり、個人HPを持っている人が周りにも数えるほどだけどいた。面識ある者同士で相互リンクとかしてみたり、面識がない人同士でもお互いのサイトを通じて話すようになることも。サッカー部のサイトも同時に作ったり、青春18きっぷで旅に出て帰ってきたら旅行記を作ったり、自分を発信しまくった。アクセス数も高校時代後半がピークだった。

日記はほぼ毎日更新していて、割と好き放題に書いていたので学内で隠れ読者がそこそこいたことを卒業シーズンに「実は読者です」と言われて知ることになる。ほんで先生の中にも読者はいて、それを知った理由は「酒を飲んでいる写真を掲載するのはさすがにマズイ」と指摘を受けた時だった。不特定多数の人に見てもらっているウキウキさと同時に、ネットの恐ろしさも少し知った高校時代だった。


大学生になるとミクシーやアメブロなどに手を出しはじめて更新ペースが落ちた。htmlコードを手打ちでやる個人サイトづくりよりも、ミクシーやアメブロの楽さはハンパなかった。だけど「個人サイト=持ち家」で「SNSやブログサービス=借り家」という認識があったので、個人サイトも同時進行で続けた。

それでも「日記→掲示板」と別ページにアクセスしなくても感想コメントを簡単に書きこむことができるミクシーはすさまじく便利で、大学でも流行りまくっていたので自然とミクシーがメインになってた。アメブロは気が向いたら書いている程度だけど、個人ブログを持っていることがちょっとしたステータスでもあったような。


そして社会人になってホームページも、ブログも、ミクシーも更新頻度がみるみるうちに落ちた。正確にいうと、パソコンに座って10分から、長い時には1時間ぐらいかけて文字を打つのがめんどくさくなった。そりゃ仕事で疲れ、自炊する気持ちにもならいので定食屋で晩飯を済ませて帰宅してから日記を書く気になるわけもないっしょ。

んでケータイから気軽かつ手軽に自分を発信できるツイッターとフェイスブックが大流行。もうね、こいつら便利過ぎ。個人サイト時代の日記みたいにガッツリと濃いものを書くことは減っても、フットワークは軽くなって参加者も鬼増えた。人づきあいも学生時代は自分と同年代だけだったのが、親世代もいるし、その人たちともフェイスブックとかで意見交換できるようになったわけだ、そりゃ楽しい。


1日に50件以上も更新しようすると「画面に表示された文字を入力してください」が登場するから、テンション的にもデータ移行する日は50日分の移行が目安になるかな?こりゃ過去のを全部持ってくるのは長丁場になるけど、まぁいいっしょ。とりあえず過去の日記を読んでみて懐かしくなるけど、本当に恥ずかしいことばかり。でも恥ずかしいことだからこそ公開しちゃうことに意義があると思う。

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